- 「コムデギャルソンってどんなブランド?」
- 「コムデギャルソンの魅力ってなんだろう?」
- 「デザイナーの川久保玲って何がすごいの?」
上記の疑問にお応えします。
1.【何がすごい?】コムデギャルソン川久保玲の歴史
2. 反逆のデザイナー川久保玲の生い立ちと魅力【名言】
これを書いている僕(keny_mensfashion)は
- 元LVMH販売員
- 総インスタフォロワー約2万
- ファッション業界歴10年
- アイウェアコーディネーター
- ファッションブロガー
私自身コムデギャルソンを普段から愛用しており、書籍を買うほど…
1. 【何がすごい?】コムデギャルソン川久保玲の歴史
1-1. コムデギャルソンとは?
コム・デ・ギャルソン(Comme des Garçons)は、
日本のファッションデザイナー川久保 玲(かわくぼ れい)が1969年に設立したブランドです。※通称ギャルソンといわれています。
コムデギャルソンの名前の由来は、
フランス語で「少年のように」という意味を持っています。
意外と知らなかったという方も多いのではないでしょうか。
1-2.コムデギャルソン川久保玲の何がすごいのか?
- 服飾の専門教育を受けておらず独学
- 1982年当時周りのブランドコレクションだったパリコレクションで黒くて穴のあいた服や、体に沿わない“だぼだぼ”の服を発表した。これらの服は「黒の衝撃」と呼ばれ、欧米のジャーナリストらの度肝を抜いた
- ファッション界に与えた影響は大きく、世界的な流行となった
- デザイナーだけでなく20のブランドを束ねる社長を一代で築いている
- 各店舗の商品の配置などにも意見が反映
- 他のブランドにはない流行に左右されないデザイン
まだまだあるがこのくらいにしておきます笑
一代でこれだけのパワーがあるデザイナー兼社長っていなくないですか?本当に尊敬します
1-2.川久保玲の若い頃
まだあどけなさが残るその瞳には強い意志を感じる鋭い眼差しだ…
1-3.コムデギャルソンの歴史
コム・デ・ギャルソン(Comme des Garçons)の歴史を一口で語ることは、非常に難しいため、ここではおおまかな、出来事を年代で切り取っていきます。
- 1969年:婦人服をメインとして販売製造をおこなったことが始まり
- 1973年:株式会社コムデギャルソンを設立しました。
- 1975年:東京コレクションデビュー
- 1978年:メンズライン「コムデギャルソン オム」を立ち上げる
- 1981年:パリコレクションに初参加
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伝説『黒の衝撃』がファッション業界に大きな衝撃をあたえます。
当時のパリコレクションの流行は、ボディラインを強調したファッションで、華やかさがあり、上流階級をターゲットにおいた高級感のあるものがメインでした。
しかし、川久保玲のコレクションは、
『全身を黒で身にまとった』モデルたちが『そこらじゅう穴だらけの』ファッションに身を包んだ”ボロルック”と呼ばれる衝撃のコレクションでした。
時代と逆行したコムデギャルソンのコレクションは、大きく真っ二つに賛否がわかれ、ファッション業界におおきな衝撃をあたえます。
賛成派:夫の意見に左右されることのない、新しい自立した女性のスタイル
ニューヨークタイムズマガジン:バーナディンモリス
否定派:『穴があけられ、引き裂かれ、切り取られ。これは貧乏に見せたい人のための新しいファッション』
パリマッチ 1982年
同時期に発表された「ヨウジヤマモト」も黒をメインとしたコレクションをおこなっていたことから、日本を代表するファッションとして「黒の衝撃」といわれ伝説となったのです。
日本のファッション業界も影響をうけ、「カラス族」といわれる全身黒で身にまとった人たちが街中に増えました。
1984年:メンズ最高級ライン「コムデギャルソン オム プリュス」が誕生。
既成概念に挑む反骨精神をコンセプトとして「comme des garcons homme plus (コムデギャルソン オム プリュス)」が誕生します。
ジェンダーを超えた「男でも女でもない…」をテーマとした、メンズファッションの新しい提案をします。
今でこそ当たり前になってきましたが、当時としては、かなり先をいっていたファッションであったことがわかります。
まさにコムデギャルソンらしい既成概念にとらわれない男性服「コムデギャルソン オム プリュス」は、いまだに愛されているメンズラインになります。
当時からオーバーサイズシルエットを提案していたのは、本当にすごいと思いますし、今見ても全然古さを感じさせない時代を超えたスタイルです。
肩パッドを抜いてシェイプをなくしたゆるやかでオーバーサイズのシルエットは、世界中のファッション業界人から、
「自由を着る男たち」、「戦争をしない男たち」
と高く評価されています。
コムデギャルソンメンズの最上級ライン×ナイキコラボ
- 1986年:アメリカ、ニューヨーク「Comme des Garçons S.A.S」社設立
- 1987年:(COMME des GARÇONS HOMME DEUX)(COMME des GARÇONS noir)が誕生
- 1988年:コムデギャルソンの専用誌『Six sense』
1988年:コムデギャルソン シャツ(COMME des GARÇONS SHIRT)の誕生
COMME des GARCONS SHIRTは、多色使いや切替など、装飾性のあるデザインも多く見られます。
しかし、シンプルなものも展開しており、とくにこのストライプシャツ(Forever)はその名のとおり、時代を超えたデザインだといえます。
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永久定番アイテムならこのストライプ一択でOK
COMME des GARÇONS SHIRT:ブルー ストライプ Forever シャツ
ドレスライク過ぎずほど良いヌケ感があり、カジュアルなシーンでも使えると評判で非常に人気です。
定番ラインのシャツとして展開しているため、気になる方は是非チェックしてみて下さい。
また、キッズ向けにCOMME des GARCONS SHIRT boysも2015年からスタートしています。
1991年:ヨウジヤマモトと合同メンズコレクション「6.1 THE MEN」を開催
1991年6月1日、明治神宮プールで行われた、コムデギャルソンとヨウジヤマモトの合同メンズコレクション
デニス・ホッパー氏を起用し話題となったコレクション
その後、コムデギャルソンに影響を受けたデザイナーが非常に多くなり、1982年に世界に衝撃をあたえた『黒』がファッション業界に広まっていきます。
コムデギャルソンのアイデンティティであった「色彩の否定や、色を持たない美しさや反抗」について目新しさがなくっていきます。
そこで90年代のコムデギャルソンは、赤などのカラフルな原色をつかい、他のブランドと全く違った独立したコレクションを展開していきます。
これは赤を「唯一の色彩と他色の否定」としてとらえ、
レッド(赤)は、コムデギャルソンの中で、特別な色としてひんぱんに使用されており、アイデンティティカラーのひとつとなっています。
1992年:フランスの芸術文化勲章受賞&「ジュンヤワタナベ・コムデギャルソン(COMME des GARÇONS JUNYA WATANABE)」が誕生
1984年にコムデギャルソン社に入社して以来、同社を支える重要なデザイナーの一人となり、現在は副社長を務めているのが渡辺惇弥です。そんな彼が率いるのが「ジュンヤワタナベ・コムデギャルソン」というわけです。
2002年:「プレイ・コムデギャルソン(PLAY COMME des GARCONS)」がスタート
コムデギャルソンといえば、このハートのブランドロゴを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
「プレイ・コムデギャルソン(PLAY COMME des GARCONS)」は、「デザインしない」をブランドコンセプトにしたユニセックスなカジュアルラインで、
Tシャツやポロシャツ、ニットなどの着る人を選ばないアイテムを中心に、比較的リーズナブルな価格帯となっています。
絶対にこの一枚はもっておきたい!
コムデギャルソンが一般的に知られるようになった、キッカケのラインとなります。
2002年から展開。ポーランド生まれでニューヨークで活躍するグラフィックアーティスト、フィリップ・パゴウスキーの手によるハートのロゴマークが印象的です。
ギャルソン入門編としておすすめで、メインラインを着る人たちはあまり着用していない印象があります。
- 2005年:社内デザイナー栗原たおによる、「タオ・コムデギャルソン(TAO COMME des GARÇONS)」を設立
- 同年:ジュンヤワタナべ・マンのセカンドライン(eYe COMME des GARÇONS JUNYA WATANABE MAN)」を開始
コムデギャルソン・ジュンヤワタナベマンのセカンドブランドで、「eYe」とはデザイナーの渡辺氏の”目から見て本当に着たいもの”という意味が込められています。
コムデギャルソン・ジュンヤワタナベマンは、コレクションブランドでもある為時代やテーマ性を重視しています。
しかし、eYe COMME des GARCONS JUNYA WATANABE MAN では時代やテーマ性に左右されない、時代を超えて愛されるリアルクローズなアイテムをメインに展開しています。
- 2006年にはジュエリーの「コムデギャルソン・パール(COMME des GARÇONS PEARL)」が誕生
- 2007年:丸龍文人(がんりゅう ふみと)による「ガンリュウ(GANRYUU)」スタート
2007年にデビューし、COMME des GARCONSのアバンギャルドでモードなスタイルに、ストリート要素をプラスしたことで人気をほこります。
モード好きのコムデギャルソンの層から、ストリートを愛する若者の層をターゲットにしたことでより多くの世代にファンを獲得します。(2017年春夏で終了します)
デザイナーをつとめた丸龍文人(がんりゅう ふみと)は現在、自身の独立したブランドFUMITO GANRYUのデザイナーとして活躍しています。
2008年:「ブラック コムデギャルソン(BLACK COMME des GARÇONS)」の誕生
2008年に生まれたブラック コムデギャルソン(BLACK COMME des GARÇONS)は、当初は期間限定のブランドでした。
しかし、価格がリーズナブルで、コムデギャルソンのアイデンティティである『黒』に特化したアイテムを楽しめることが話題となり、今では定番ラインとして現在も継続しています。
他人と被らない!タイムレスなバッグなら
- 2009年:「ザ ビートルズ コムデギャルソン(The Beatles COMME des GARCONS)」を開始
- 2012年:ドーバーストリートマーケットギンザ」などのオープン
- ファッション界のオスカー賞といわれる「CFDA(Council of Fashion Designers of America)ファッション アワード(国際賞)」を受賞
- メトロポリタン美術館で、「Rei Kawakubo/Comme des Garcons Art of the In-Between」展開催
2018年:CDGの誕生
2018年に、コムデギャルソンの新ラインCDG
オンライン通販を開始したという点で話題になりました。
Tシャツやパーカ、コーチジャケットやスニーカーなど、ロゴを使用したベーシックなアイテムは、ストリート好きな新しい層を獲得しています。
一枚で決まるTシャツならこれ!
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約50年以上の歴史をざっくりとご紹介しました。
改めてデザイナーをしつつ社長も兼任し、一代でコムデギャルソンをここまで成長させた川久保玲のすごさを身に染みて感じております。
半世紀の歴史をほこるコムデギャルソン帝国は、コロナ禍で、世界のファッション業界に元気がない今、どのような新しい世界を私たちに見せてくれるのか?今後のコムデギャルソンに期待したいです。
1-3.コムデギャルソンとコラボしたブランドの数々
コムデギャルソンとコラボレーションした、数々の有名ブランドや世界的なアーティストをメインにご紹介していきます。
有名アーティストとのコラボ
数々のアーティストコラボの中でも、The Beatles(ザ ビートルズ)やThe Rolling Stones(ザ ローリング ストーンズ)とのコラボは歴史的なコラボレーションです。
コムデギャルソンの反骨精神やパンク精神は、
このようなロックミュージシャンの影響をつよく反映しており、ファッションの枠を超えたバックグラウンドが存在しています。
また、コム デ ギャルソン・シャツ(COMME des GARÇONS SHIRT)」は、
2021年秋冬コレクションで現代アーティストのカウズ(KAWS)との初のコラボレーションアイテムを発表。
直近のコラボをみても思わず気になってしまいますよね。
- The Beatles
- Jan De COCK
- HELMUT NEWTON
- 草間彌生 (YAYOI KUSAMA)
- Alexander Stadler
- The Rolling Stones
- Jamie Reid
- Richard Prince
- 寺田克也(KASTUYA TERADA)
- マット・グレイニング
- 高橋真琴
- Barry McGee
- 岡本太郎
- KAWS
川久保玲本人も愛用する名作バッグ
まさかのキャラクターとのコラボ
全てのキャラクターに、どこからつっこんでいいかわからないほど…中でもミッキーマウスや、最近だとAKIRAとのコラボレーションはご存知の方も多いのではないでしょうか?
- ピンクパンサー
- ディズニー(ミッキーマウス、オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット、アナと雪の女王) /
- おそ松くん
- ヤッターマン
- 人造人間キカイダー
- 魔法使いサリー
- スター・ウォーズ
- AKIRA
- 不思議の国のアリス
ラグジュアリーブランドとの多彩なコラボレーション
多彩なブランドコラボレーションの中でもとくに衝撃だったのは、LOUIS VUITTONや、Supreme 、HERMÈS、Chrome Hearts 、GUCCIなどまさかのコラボレーションです。
誰もが知る有名なラグジュアリーブランドから、王道ストリートブランドまで、その多彩なコラボレーションは、世界的にみてもコムデギャルソン ならではです。
「こんなブランドともコラボしてたんだっ!」と思わずびっくりしてしまうほど…
「エルメスともコラボしてたの?」とびっくりされた方も多いのではないでしょうか?
関連記事>>【Hermès】エルメスの歴史や魅力さらにロゴの意味とは?
- H&M
- District United Arrows
- LOUIS VUITTON
- MIKIMOTO
- Stephen Jones
- Chrome Hearts
- C DIEM
- repetto
- WOLF’S HEAD
- Ligia Dias
- HAMMERTHOR
- フレッド・ペリー
- SPEEDO / OUTLAW
- CUTLER AND GROSS
- HENRY BEGUELIN
- visvim
- コンバース
- 吉田カバン
- ドクターマーチン
- Dry-shoD
- CASEY VIDALENC
- PeggyMoffitt
- Tretorn
- ヴィヴィアン・ウエストウッド
- UNDERCOVER
- ミズノ
- NIKE
- NOVESTA
- A BATHING APE
- Supreme
- Stussy
- Lewis Leathers
- HERMÈS
- GUCCI
その他のコラボレーション
その他のコラボレーションでは、世界的に有名なコカコーラとのコラボレーションは話題になりました。
ファッションだけではなく、こういったカルチャーとのコラボができるコムデギャルソンは、日本初のブランドとして誇りに思います。
- MEDICOM TOY
- VOGUE NIPPON
- ARTEK
- コカ・コーラ
JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS MANとのコラボもすごい!
実は、ジュンヤワタナベ・コムデギャルソン((COMME des GARÇONS JUNYA WATANABE)のコラボもすごいんです。
ニューバランスや、ボルサリーノ、ブルックスブラザーズ、リーバイスやマッキントッシュなど、時代に左右されないブランドの数々です。
下記のコラボのブランドをご覧いただいただけでも、ジュンヤワタナベ・コムデギャルソンのコンセプトが見えてきませんか?
- バラクータ
- ボルサリーノ
- ブルックス・ブラザーズ
- ディッキーズ
- DAZED
- ラコステ
- ナイキ
- ニューバランス
- THE NORTH FACE
- MACKINTOSH
- POST O’ALLS
- PRO-Keds
- リーバイス
- MONCLER
- Tricker’s
- VANS
- Vanson
- DUVETICA
2. コムデギャルソン川久保玲の生い立ちや名言【歴史】
2-1. 川久保玲(かわくぼ れい)の生い立ちと魅力
コムデギャルソンのデザイナー兼CEO、川久保玲の生い立ちをご紹介していきます。
彼女は、1942年10月11日、東京生まれの長女として誕生します。
彼女の父親が慶應義塾大学の職員ということも影響したのか。。
1960年に慶應義塾大学文学部哲学科に入学し、卒業後、株式会社旭化成の宣伝部に入社しました。しかし、わずか3年で退職します。
フリーランスのスタイリストとして活動を開始
スタイリストという仕事を働くうち、徐々に「自分でデザインした方がいいのではないか?」という考えが生まれました。
そこで彼女は、独学でパターン、縫製などを学び、服作りをおこなっていったことが後に、コムデギャルソンを立ち上げるきっかけとなるのです。
母親から受けたパンク精神
また、彼女のクリエイションの中にある反抗精神やパンク精神は、彼女の母親からつよく影響をうけています。
母親は、英語教師でした。「子育てが落ち着いた頃には職場に復帰したい」と、旦那(川久保玲の父)に相談しますが、許されませんでした。
当時の世の中では、男性が優位な社会であり、女性の社会復帰を後押しするような時代ではありませんでした。
しかし、「彼女の母親は仕事に復帰できなければ離婚する」と言いはなち、結果として離婚することになるのです。
この母親の【反抗精神】や【世の中へのフラストレーション】、【女性の社会復帰】さまざまな社会背景と家庭環境が、
今の”反逆のデザイナー川久保玲”のクリエイションにつながっている
当時の一般的なデザイナーは、服飾系の学校を卒業している人が多いのですが、彼女は専門的な勉強はしておらず、全て独学でクリエイションをおこなっているのです。
そして1969年に、コムデギャルソン(Comme des Garçons)を創立し、50年以上続く世界的ビッグブランドとして活躍していきます。
独学で学んだ有名なデザイナーといえば、ラフシモンズ も独学です。よろしければ関連記事もご覧ください。
2-2.【デザインしない】川久保玲の名言
川久保玲の魅力のひとつに数々の名言があります。
インタビューや、メディアに出ることも少なく、ミステリアスな印象の強い川久保玲ですが、その魅力には数々の名言に隠されています。
「コレクションのテーマはいつもない」
「四六時中、つねに飢餓状態でいなければならない」
「ビジネスだって同じクリエイションだ」
「デザインしないこともデザインだ」
出典:Pen独占インタビューコムデギャルソンの全て
世界中に影響を与えるファッションデザイナーであると同時に、600人を超える企業の社長でもある川久保玲の強さや魅力のひとつだと感じます。
実際にpenの”コムデギャルソンのすべて”川久保玲の独占インタビューをご覧いただければ、もっと詳しく知ることができます。
”「人々は安くて簡単に着られる服を着て、他の人と同じ格好をして喜んで、創造の炎が少なからず冷えており、変化に対する熱狂と情熱的な怒り、そして現状に対する反抗が弱くなっています….
しかし、私がいまだに愛していることは、バカなことをして、愚か者を演じ、著名デザイナーであることを振りかざしたりすることが、ファッションビジネスを構成する上で必須であり、必要な一部分であることです。そして創造が私を駆り立てます。創造なしでは進歩がありませんから。」”
創造を常におこなっていくことや、周りと同じこと横並びであるマジョリティな社会に疑問を投げかけています。
2-3.川久保玲の身長とは?
モード好きな人は特に参考にしたい川久保玲の身長は
おおよそ150㎝中盤と言われており、
低身長さんにとっては少し勇気を貰えますよね。
2-4.川久保玲に影響されたデザイナーたち
川久保玲に影響されたデザイナーたちをご紹介していきます。
コム デ ギャルソンの反骨精神なクリエイションや、パンク精神を感じるプロダクトは世界中のファッションデザイナーにつよく影響をあたえています。
マルタン マルジェラやマルジェラの師匠であるジョンガリアーノも大きく影響を受けていたようです。
興味のある方は、メゾンマルタンマルジェラの歴史と魅力【わかりやすく解説】をご覧ください。
師弟で影響を受けていたとは新しい発見ですよね。
また、ヴィクター&ロルフ等の外国人デザイナーにも大きな影響を与えています。
undercover(アンダーカバー)やSACAI(サカイ)、TOGA(トーガ)といった日本人デザイナーにも多くの影響をあたえています。
影響力のあるデザイナーランキングでは川久保玲はつねに世界でトップ5の常連でそこも彼女の魅力のひとつです。
【まとめ】コムデギャルソンの川久保玲の歴史
最後にコムデギャルソンの歴史や、川久保玲の生い立ちなどを、簡単にまとめます。
- コム・デ・ギャルソンは、川久保 玲が1969年に設立したブランド。※通称ギャルソン
- コムデギャルソンの名前の由来は、フランス語で「少年のように」という意味
- コムデギャルソンの伝説『黒の衝撃』がファッション業界に大きな衝撃をあたえた。
- 世界中に影響を与えるファッションデザイナーであると同時に、600人を超える企業の社長
- 既成概念にとらわれない男性服「コムデギャルソン オム プリュス」は、メンズ最上級ライン
- レッド(赤)は、コムデギャルソンの中で、特別なアイデンティティカラーのひとつ
- ビートルズやローリング ストーンズと歴史的なコラボをしている。
- LOUIS VUITTONや、Supreme 、HERMÈS、Chrome Hearts 、GUCCIなどともコラボしている。
- 反抗精神やパンク精神は、彼女の母親からつよく影響をうけている。
- マルジェラとその師匠ジョンガリアーノは川久保玲から大きく影響を受けていた。
- undercoverやsacai、TOGAなど日本人デザイナーにも多くの影響をあたえている。
- 50年以上続く世界的ビッグブランドとして活躍している。
最後までご覧いただきありがとうございました。
今回はコムデギャルソンパート①をお送りいたしました。